みなさん、こんにちは。
不妊ピア・カウンセラーの春木レラです
最近、なぜ不妊ピア・カウンセラーになったのですか?と聞かれることが多いので、今日はそんなお話をしたいと思います。
注意!
不妊治療に抵抗のある方は読まないほうがいいです。
不妊治療に否定的方は読まないで下さい(^^ゞ
読んでもいいけど、読み流して下さい
なぜ私が不妊ピア・カウンセラーになったのかというと、
一言で言えば、私自身不妊の経験が辛かったからです。
でも、今は不妊を経験して良かったと思っています。
良かったと思っている話は、またの機会に。
今日は、なぜ不妊ピア・カウンセラーになったのかですので。
治療中の私はこんな感じでした。
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結婚してしばらくすると、職場や習い事で必ずといっていいほど聞かれる「お子さんは?」という質問。
初対面の挨拶のように聞かれるのがちょっと困りました。
早く子どもが欲しくて不妊専門のクリニックに行き、治療すればいつか授かるだろうと淡い期待を持ち、あまり深刻にならずにいました。
しかし、治療を重ねても、なかなか妊娠しないことを自覚していきます。
あれ、本当に私できにくいのかな???
度重なるマイナス判定。
帰り道は、泣きそうになるのを車までは我慢して乗り込みます。運転中ポロポロと涙がこぼれだし、そのうち顔にもワイパーがほしいくらい前が見えませんでした。事故を起こさないように帰るのがやっと。それだけの気力しか残っていなかったのです。
街に出ると、子どもを連れたお母さんに目がいきます。
人目があるにも関わらず涙が溢れるので、慌ててトイレに駆け込んだことも数知れず。
でも、今日もダメだったことを夫に伝える時はなぜか泣くことを我慢してしまいます。
本当はおもいっきり泣きたかったし、慰めて欲しかったはず。
変に大人になって、夫を困らせないようにいい妻になろうとしてたんだと思います。
ちぐはぐな気持ちは夫への苛立ちに変わり、わたしばっかり治療して・・・と、一人で頑張ってる気になっていました。
1ヶ月に何度も通い痛い注射にも耐えて、子どもができるためにはできることはなんでもやりたかったし、いろいろやりました。もっとスピードアップしてやりたかったくらい。だって、歳はどんどんとっていくし、卵子も減っていくし、質も悪くなるのだから。
こんなに頑張って治療したのに、採血と尿検査だけでその日に結果がわかってしまうのです。
治療をしてることはごく一部の人しか知らないから、通院の苦労は誰にも気づかれません。
朝早く起きて、順番待ちして、4時間コースは当たり前で、帰りは夕方になっていたこともありました。
だから誰かに「頑張ってるね」と、言ってもらえることなんてありませんでした。
こんなに大変なのに、頑張ってるってこと自分でさえ気づいてなかった。
早く終わったときはなんだかうれしくて、帰りの寄り道だけを楽しみに通っていました。
だんだんと心がすさんで、どうしたらいいのかもわからなくなって、友達に相談するけど話が通じない。こんな私の話聞かされる方も困るよね。でも、一人で抱えきれないくらいになっていたから、誰かに聞いてもらいたかったのです。
この「どうしたらいいのかわからない」気持ちから解放されたかったです。
悲しい気持ちは、抱えていると生活できなくなるから、見ないようになっていきました。
泣くときは、夜夫が寝静まってから。横を向いて声を出さないように涙だけタオルに染み込ませました。
そして、一晩寝たら忘れよう。そんなふうに無理に前を向こうとしました。
そして、傷つかないように治療は淡々とやるようになっていったのです。
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不妊治療で悩んでいる方には、私のような思いをしてもらいたくないから、不妊ピア・カウンセラーになりました。
今の私なら、思い切り泣いていいんだよと、
治療してた自分に言ってあげたい。
感情を抑えるとどんどん溜めてしまうから。
ちゃんと妊娠できなかったことを、
赤ちゃんになるはずだった受精卵とのお別れを、
ちゃんと泣いて悲しまなければ心に無理がかかることを知っているから。
ピアとは、仲間とか同士という意味です。
私も不妊体験者だから、辛いこと、悲しいこと、虚しいこと、イライラすること、モヤモヤすることがわかります。自分を責めたり、投げやりになったり、淡々と期待せずに治療を繰り返してしまう気持ちが分かります。
こんな自分がダメだから妊娠しないなんて思わないで下さいね。
話を聴いてもらいたい時は、結構せっぱつまっています。
そんな時のためにも、長野にピア・カウンセラーがいることを知っておいて下さいね